小説家(ライトノベル作家)になった私の本出版の実体験 エピソード
私は12歳の頃から見よう見真似で、小説を書いていました。
元々病弱で、外で遊ぶ機会よりも本を読むことの方が多く、そういったことが本の世界にのめり込ませていった要因の一つであると思います。
中学に上がる少し前、とある少女小説を読んだことをきっかけに、自分でも小説を作ってみたいと強く思ったのが、執筆活動の始まりでした。
もちろん、小学生12歳の子供が、マトモな作品を作れるわけもありません。
そもそも、漢字自体が苦手な子供だったので、誤字脱字ばかりのノートでした。
それでも、自分なりに懸命に、楽しく作品を書いていました。
中学に上がると友達が同士になり、それ以降は周囲の執筆を楽しむ友達同士でそれぞれが書いた作品交換しあって、感想を言いあうのが日課のようになっていました。
この流れは、高校、そして大学へと進学してからもかわりはありませんでした。
高校以降は、創作活動で切磋琢磨していた友達とは違う学校になってしまいましたが、それでも違う学校でも小説を書いたノートを交換していました。
当時はまだ高校生がパソコンを使うのが珍しい時代だったので、小説はノートで直筆かよくてワープロを使うくらいでした。
なんにしろ、年齢を重ねても創作活動を楽しんでいたのですが、短期大学の2年生に進級した時に大きな変化がありました。
就職活動で敬遠になった同士たち:
短大2年になり、周囲では就職活動に関する話題や、ゼミの卒業論文についての話題が一気に増えました。
反対に、趣味に時間をつぎ込む話が減っていったのを覚えています。
私も、もちろん就職活動をする気はあったのですが、それでも趣味の小説作りをやめることができずに、コツコツチマチマと書いていました。
結果、その当時書いたことのないジャンルの長編を生まれて初めて書き上げることができました。
けれど、今まで読んでくれていた友達たちは就職活動で忙しいようで、こちらも「読んで」とはとても言い難い雰囲気でした。
けれども、せっかく書いたものを誰かに読んで欲しい……とモヤモヤしている時に、文庫本の後ろに「原稿随時募集」という文字を見つけました。
当時の自分は純粋に作品を誰かに見てほしいと言う気持ちが高まっており、この文字をみた時「随時募集ということは、送っても迷惑ではないのではないか」程度に捉えました。その当時はそのままデビューできる!なんて、夢みたいなことは欠片も思っていませんでした。
自分の中の計画としては就職をして、25歳辺りで出版社に本格的に投稿し、作家を目指そうと考えていたのです。
今思えば、ネットに投稿すればよかったのでは……と思わなくもないのですが、当時の自分の頭にはそんな考えが一欠けらも浮かばなかったので、やはりあれは運命だったのかもしれません。
何にしろ、この時の己の行動が自分のすべての人生をかえてしまったのです。
出版社に原稿を送ったのは、12月でした。
自分のパソコンを持っておらず、ネットも引いていなかったので、原稿は大学のパソコン室で作り、大学のコピー機を使って印刷しました。
送って私は、その時点で満足をしました。誰かに読んでもらえる、その事実だけでよかったのです。
送って数日間は、やっぱり迷惑だったんじゃ……と頭を悩ませましたが、忙しい日々が続くにつれ、自分が原稿を出版社に送ったという事実を綺麗さっぱり忘れるようになっていました。
出版社からの運命の電話:
あれは1月のことだったと思います。大学の帰り道、いつもバスに乗るバス停でぼんやりとバスを待っていました。すると、一本の見知らぬ番号から着信がありました。
03で始まる電話が東京番号だとなんとなくの知識で知っていたのですが、東京番号からかかってくる理由が皆目見当がつきませんでした。
少し悩みはしたのですが、「もしかしたら、どこかのインターン先かもしれない」と、就職活動のエントリーをしたばかりだったので、頭にそんな考えがよぎり、結局取ることにしました。
普段は知らない番号からは絶対に取らないので、やはり何かの不思議な力が働いていたとしか思えません。はたして電話先の人は言いました。
「○○さんの、携帯ですか? わたくし、○○出版社○○文庫編集部の○○と申します」
その言葉を聞いた時、全身に電撃が走るような衝撃を覚えました。
出版社から電話!?
それは、わたしの中にないパターンです。本当に綺麗さっぱり、忘れていたのです。
というか、原稿募集のページには編集部から連絡があるのは3か月くらいかかります……的なことを書いてあったので、せいぜい連絡があるとしても、もっと先だと思い込んでいたのです。
まず真っ先に思ったのが、「怒られる!」ということでした。
きっと、くだらない下手な原稿を送ってしまったことを怒られるのだ、と一瞬背中が寒くなりました。送った時は勢いだけです。
しかしながら、編集部の人はそのような話をするために電話をかけてくださったわけではありませんでした。
「長いお話しになると思いますので、お時間をいただけますか?」
長い話?
もしかして、これは褒められる流れかもしれないと、私は思います。
「面白かった」とか言われたらどうしようとソワソワしながらも、外にいることを伝えると、「それでは一時間後に」と編集さんは一度通話を切りました。
わたしは居ても立っても居られない状態になってしまい、バスで帰る距離の道を走って帰ってしまいました。なかなかの距離があり、普段は走ることなんて絶対しないのに、衝動のままに身体が動きました。ジッとしていられなかったのです。
話題はいきなりデビューしませんか?:
自宅についてしばらくして、お電話がかかってきました。
「当社でデビューするつもりは、おありですか?」
二度目の衝撃を受けました。そこまで話が飛ぶとは、思わなかったのです。
一度目の作品がよかったので、他の作品をいくつか書いて、それからデビューを……みたいな流かなと思っていたのです。
走っている間に、色々とよい感じの妄想をしていたのですが、事実は妄想以上にハイスピードで、よい内容でした。
編集部の人は、作品をとても面白かったと評価をしてくださり、また山場が弱いので、それをどうにかすればいいとアドバイスもくださりました。
私は当時まだ学生だったので、悩みはしましたがせっかくの大きなチャンスを逃すわけにはいかないと、「お受けいたします」と答えました。
それからわずか数か月後の同年6月に、デビュー作が本屋に並ぶことになるのです。
初めての自分の本を見た時:
感動するというか、あまりにも現実味がないように感じてしまい、反対にオロオロとしてしまいました。
本当にデビューしてよかったのか、本当に自分の作品にお金を払う価値があるのか……そのことは、今でも頭をよぎることがあります。
とにもかくにも、ものすごくソワソワして地元の本屋にも心臓をドキドキ高まらせながら、動悸息切れを覚えながら確認しにいきました。
献本として自宅で本を見た時以上に、本屋で並ぶ自分の初めての本を見た時の感動は、どう言葉にすればよいのか……並んでいた本を手にした時、少し指が震えていたかもしれません。本当に感動したのです。
もちろん、作家になることは夢でしたが自分で思っていたよりもずいぶん早いデビュ-だったので、心の準備ができていなかったのかもしれません。
本ができるまで:
本は書いてすぐに出版されるわけではなく、いくつもの原稿が何回も作者と編集部の間を行き来します。
初稿→編集部チェック→直し(改稿)→編集部チェック→直し(改稿)→編集部チェック→改稿→編集部校正→著者校正→編集部再度校正→著者校正……
この期間だけで、数か月かかります。
改稿は場合によってはすべて書き直しになることもありますし、数万文字削り、反対に数万文字加筆することもあります。
また、ライトノベルのようにイラストが入る場合はイラストレーターさんの絵をチェックする工程も入ります。
この辺りはチェックするだけなので大した労力はいらないのですが、自分の考えたキャラクターの外見、衣装、用品を文字で書いてイラストレーターさんに伝えなければならないので、苦手な人は苦手な作業かもしれません。
ちなみに自分は、苦手な分野です……
ちょこっとTips:資料はまず図書館で:
小説を書くには、膨大な資料が必要になることがます。
自分の場合、たった三行を書くために資料を10冊用意したこともあります。
まあ……その部分、編集さんに削られたんですが……。
資料は、小説の内容を豊かにするために大事な味付けだと、私は思います。
すべて買うことができればよいのですが、お金や場所の確保の問題で、なかなか難しいと思います。
ですので、まずはお近くの図書館で資料を探し、どうしても欲しいという資料だけ、購入してみてはいかがでしょう。
ネットで情報を探すのも、悪くはないのですが……
ネットの情報は嘘も多かったりするので、鵜呑みにするのはどうかと思います。
そして一度購入した資料は、いろんな作品で活用するとよいと思います。